20111030 - a song - 13
自分の睫毛と会話をした後、結局交通に入り込み環状線まで上る。いつもイヤホンで耳を塞いでいるので、街中でイヤホンを外すと自分を包んでいる音の響きに一瞬ぼうっとなる。感想した空気を通して伝わる環境音が駅の改札を出て地下街に入ろうとするところであたしを一度洗い流す。その残響音のなかを突き進む生き残ったあたしがいて、気付けばいつも通り物事の原音のなかを歩いている。つまり普通通りに街を歩いている。世界が起きていない振りをしながら。
地下街の出入り口の一つから地下中二階の高さで横に延びる廊下を渡り、その端で地上に出る階段を上る。新宿で、ただの場所で、名前を失った景色と雑踏のなかを再びあたしは歩き出す。頭の中に入っている地図は利用する。自分がいるのはさらの都会だと捉える。その中でざわめきが止まず、何も理解できないまま全部が過ぎ去っていく。
そりゃそうだけど。と視界に字幕が入る。
でもここにこうして残っているものね。
とあたしは答えて返す。
そのような思考を行った後、ラーメンを食べ、知ってる道を歩く。時にビルの階層のなかにいて、階から階を移動している時間があり、地上階に出て、冷気に身を縮める。
睫毛に冷気が絡みつくせいで冬の歯車が見えるのだろうか。街灯から街灯を渡る風が伝っている冬の機械。冬のあいだこの街を動かしている機械。そのようなものが見えるのは睫毛がもたらす錯覚だろうか。あたしは判定を下しかねている。
それも儀式的なことだと気づく。慣習は更新されていくけれども、冬の機械はそのぶん入り組んで問題もなく作動している。重力の強さ、というよりは大気の重さとして完全に。儀式的というか慣例でないのならば季節とは呼ばれないだろう。だから秋が秋であることに深い意味などないのだと自分を説得する。
それでも秋という言葉には秋という意味があり、あたしはそれを愚鈍に心ゆくまで楽しんでいる。あるものとないものがそこで出会っていて、あたしはそれをしばし引き留めるためにだけ存在する。あるものとないものの違いとして。
夏に近い秋よりは冬に近い秋が好きで、一枚余分に来て一枚分寒いくらいの気温が好きだ。裏返しのトレーナーをTシャツに重ねて着ているだけなので少し寒いその日を少し好きだ。その残りの意味を探していて、何度も裏返り、着地点は秋で、まだ出発もしてないのにと思う。
それが一歩一歩の出来事で、睫毛がその大半をキャンセルしている。
キャンセルできなかった分が幻影としてこぼれている。
あたしはそのような思考で自分に問いかけるが、返答の字幕は浮かばない。
何はともあれキャンセルしきれているということだろう。
だから一度ついたその溜め息をつかなかったことにする。そうして意味を背後から取り戻す。というのは溜め息をついたという事実を認めることにより、感情に時間を渡らしてそれが迂回できたと自分に伝える。そのあいだにあたしは過去と現在を頭の中で精確に行き来している。そうして自分の感情を見渡す。
そのあいだにあたしは交通に入り込み自室に戻っている。冷気として薄く浮かぶ冬の機械に運ばれて街灯から街灯へ夜道を頼りに家路を辿る。公営住宅の階段を上り始めた時点であたしの散歩は終わっている。静かな気持ちで階段を上る。二階の自室の扉を開く。その部屋はあたしが出入りする時にだけ目を覚ます。あとは灯りを点けても眠ったままの部屋のなかであたしはポリエチレン製のトートバッグを床に置いて伸びをする。